Made in SABAE

細部にこだわったデザインは、心地よい驚きを呼ぶ。

商品が持つ出来事やストーリーに、ユーザーはどれだけ共感できるのか。 これこそブランドが生まれるための基本ではないでしょうか。
ペーパーグラスの紡ぎだすストーリーは、まさしくユーザーの使用感、体験をベースにしています。 胸ポケットから取り出しフレームを開き、顔に装着し、使用し、リーディングが終わればフレームを閉じて極薄のホルダーに収める。 そのひとつひとつのプロセスに、すべてのユーザーは同じ感覚を共有できるのです。

私はここが好きとか、あなたはどこが好き?といった差異がないのです。 ペーパーグラスのDNAはシンプルかつ強いためにどなたにも同じストーリーを語りかけます。
また、ペーパーグラスは使用しているあなた以外の人にも以外にも驚きを与えます。 薄く、美しく、機能的なペーパーグラスの存在はあなたのまわりにも心地よい喜びを広げていくのです。

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テクノロジーが支える、100年を超えるストーリー。

テクノロジーが支える、100年を超えるストーリー。

鯖江市の眼鏡フレーム製造は、2005年に産地生誕100周年を迎えました。 現在ではチタン合金等に代表される品質を重視したものづくりに取り組み、眼鏡フレームでは国内の約90%、世界の約20%の生産シェアを持つまでに成長。 デザイン力とブランド力を持つイタリア、低コストでの大量生産を得意とする中国とともに、世界3大産地のひとつとして確固たる地位を築いています。

ここで注目したいのは、眼鏡フレームという工業製品が人口約67,000人の鯖江市という小さな地方都市だけで完結していること。 鯖江市には眼鏡フレームに必要な200~250工程をすべてこなせる能力があります。 これらの工程は分業化され、それぞれの作業において職人芸というクオリティが活かされています。 眼鏡関連会社500社、従事者4,500人、年間眼鏡生産数約800万枚。ペーパーグラスは、そんな町で誕生しました。

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ペーパーグラスのストーリーは、福井県鯖江市だから生まれた。

眼鏡枠製造は、1905年(明治38年)に創業者と呼ばれる増永五左衛門が農閑期の副業として、少ない初期投資で現金収入が得られる眼鏡枠作りに着目。当時眼鏡作りが盛んであった大阪や東京から職人を招き 、弟子に眼鏡の製造技術を伝えたことが始まりといわれています。 当初は、「帳場」とよばれる職人グループごとに眼鏡を製作。 その帳場ごとに職人が競い、腕を磨くことで分業独立が進み、現在のような一大産地が形成されたと言われています。

つまり眼鏡業界とは、分業化することで各々の技術を革新していったという歴史を持っているのです。 そして今、鯖江市の技術者たちは、「作る」ことから「創る」ことへとシフトしようとしています。 そして技術者たちの新しいテーマである「創る」という コンセプトが込められたペーパーグラスは老眼鏡のイメージに新しい価値を与え、視力による豊かさを創るために開発されました。

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進化し続けるMadeinSABAEは、世界に向けてプレゼンテーションを開始する。

ペーパーグラスはこのような変革の時代に新しく誕生しました。 マーケットの要求に応えるために作るのではなく、ユーザーが新しい価値を感じる製品を創造する。 そんなアクションのひとつとして生まれたのがこの眼鏡なのです。
デザイン、設計、金型製作、部品製造、リム成形、研磨、メッキ、組み立て、洗浄、最終検査まで100%SABAE MADE。 これらの確かな技術を基盤として、現在鯖江市ではいくつもの新しいプロジェクトが誕生しています。

この地に生きる私たちは、250もの緻密な加工ができる技術集団を眼鏡製造だけにとどめておくつもりはありません。 それでは地域の大きな損失になると考えているのです。 私たちは全国や世界に類を見ない技術力であらゆる製品を提供しています。 航空機、自動車部品、医療機器、スポーツギア、生活、未来etcに関わる鯖江市の製造力は次世代日本の新基軸となろうとしています。 鯖江の技術から生まれたペーパーグラスは老眼鏡の市場を変え、視力を通し人の生活を豊かにします。
まずは、老眼鏡というカタチをまとったペーパーグラスで鯖江の技術に触れ、日本のモノづくりの力を感じてください。

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ペーパーグラスについて